朝の光が肌を選別してる。
透明であることが正義みたいに
「かわいさ」は今日もノルマとして更新される
かわいいって誰のもの?
それはいつから生き残るための戦略になった?
SNSを開けば同じ顔が並ぶ。
どれも少しずつ違うのにどれも少しずつ似ている。
その微妙な差分が視線を奪うための戦場になってる。
かわいさは競争率の高い感情。
——かわいいは本来贈与だった。
誰かの中に生まれる優しさ。
今は自分で供給しないと存在できない資本。
他者の視線を栄養にして成長する植物みたいに。
だからかわいいはだんだん疲れる。
鏡の前に立つたびに
「昨日のわたしよりアルゴリズムに愛されてるか?」を確認する。
かわいさが売上を生む構造の中で、
感情の在庫が減っていく。
わたしは思う。
かわいさっ、もしかして他人の欲望を代行する職業なのかもしれない。
笑顔も仕草も全部「相手が安心できる範囲の愛らしさ」になっていく。
そして限界を超えた瞬間に、
そのかわいさは怖さに変わる。
それが——かわいさの臨界。
かわいいの境界線を踏み越えたとき、
人はもう人ではなくイメージとして保存される。
モカティックの世界はその瞬間を救い上げたい。
かわいいを否定しない。
でもかわいさに飲まれない。
存在のままに美しいという実感を再起動させる。
この店で扱うのは労働じゃなくて感情の温度。
だからスタッフもキャストも
「かわいさを脱いだあとの顔」で立っていられる。
かわいさの臨界を越えたあとに、
やっと本当のかわいさが呼吸を始める。
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生きる速度が合わない街で
生き延びる方法を探してる。
声を出す代わりに文章で呼吸する。
📍 モカティック
https://note.com/mocatic_edtr/n/n2019af723fe2












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